代表 常田あきえ
When on the last day
of my life
人生最後の日、最後の瞬間にあなたは何を思って旅立ちますか?
私は「やりたかったこと全てやり切った。楽しかった。」そう思いながら愛する人を思い出して大往生したなら、本当に幸せな人生だったと思えます。
「やりたかったこと」今の私がこれからやりたいことを思い浮かべると、「ルーツである佐多岬に行ってみたい」「こどもたちの自殺をなくす取り組みをしたい」「目の前の人を癒せるように学びたい」「自分で服をデザインして作りたい」他にも色々と浮かびます。無尽蔵に出てきます。諦めなければ全て「やり遂げられる」のだと思います。限りある時間の中で宇宙の采配とすべてを受け容れる覚悟さえ決まればどう生きたいかは自分次第で決められる。人生はいくらでも変えられます。「やりたかったこと全てやり切った。楽しかった。」穏やかな笑顔で息を引き取れるように自分を生き、今はデザインという生業を通じてみなさんの意識が缶わり、夢や目標、生きる目的に向かう関わりをします。
代表メッセージ
居場所を自分の世界の全てにしない
ゲーム・実験の場にする
Message
常田あきえ
TsunetaAkie
初めまして。「愛」はあらゆるモノ・コトを凌駕し超えて包むエネルギー。
「愛」という言葉を使うと、何か軽く見られたりいやらしく感じる方もいるようですが、私の仕事の意識がガラッと変わったきっかけは、ある尊敬している経営者様から「あきえさんのデザインには愛がある」と言っていただいた瞬間からでした。10年後に話したら言ったご本人は覚えていませんでしたが笑。
さて、私自身のことについてお話しします。
私はある日順風満帆だった人生から一転、物理的・精神的などん底にタッチする強制リセットを経験しました。朝目が覚めると、悪夢明けの朝のように「夢でよかった....いや、現実だ」ズシンと何かがのしかかり、神社の境内で涙が止まらなかった日もありました。
最初は想定外の出来事に自分のキャパが対応できずパニックを起こしていました。
同じ頃、門下で学び始めて1年半ほどの関係物理学者山田貢司さんに「ナカヌキノアキエ」という名前に変えろと意味不明で理不尽な宣告を受けました。最初私は「中抜きなんてしてない」と猛反発していました。
山田さんは「やることが中途半端だし、生き方がそもそも中途半端だ」散々の言いようで、私は必死に自分の実績を伝えて反論。しかし、ある時不意に「これまで私は確かに頑張ってきたけど、本来の自分そのものではないごまかしの自分で頑張ってしまっていたかも」と感じたのです。
そういえば子供の頃、突然幼稚園から脱走して大問題になったり、小学生時には前席の男の子が座る瞬間に椅子にイガの付いた栗を置いて、勢いよく座った男の子のお尻に刺さって大目玉となったり。お手本にはなりませんが、何の躊躇なく恐れもなく自分がやりたい事を思う存分やっていた。相当ヤバかった、私。そこには悪気も罪悪感もなく、ただ出来事として喜怒哀楽が存在していました。
今はと言えば、社会性が身につくと共に、一般枠の中でいい人として猫をかぶっている自分がいました。知らず知らずのうちに「うまく生きよう」になっていた。いつも中途半端に「いい人切れ」して苦しんでいたな、と。
「ナカヌキノアキエ」という訳のわからない名前は、これまで頑なに握りしめていた自分の役割や約束を全て脱ぎ捨てて、何もかも手放し何者でもない自分になるために今の自分と対峙するための名前でした。作り上げた自分の「見られ方」を脱ぐことに異常な恐怖心があったことに気付かされました。自分の「正しさ」を纏うことを放棄しないとならないイメージの名前。人からどう思われるかに異常な執着を持っていた自分にとっては「ナカヌキノアキエ」なんて誤解を招く名前は恐ろしいネーミング。
しかしある時「もう、何でもいいや!」月末から名前を変える宣言をして、SNSの名前を変更しました。芸能人ではありませんから反響は特になし。しかし、何かが少しづつ変わっているという体感が出てきました。裸の自分。「何者でもない」自由で一番真っ新な素粒子になったような状態。それは全てになれる可能性を内包した姿でした。そこには「愛」だけがあります。感じるのです。
大変な苦しみは伴いましたがこれまでの重たい鎧を脱ぎ楽になり、価値観も総崩れし、蔑ろにしてきた愛に気づき、妄想ではない感謝を感じ始めたところから、人生とは実は本当にゲームでエンターテイメントだと言うことがわかりました。死ぬ瞬間に大の字で笑顔で肉体を脱ぐことが私自身の生きる目的で、ここに成功失敗とか、善悪や後悔はなく生き切る。
そこには「愛」があるから大丈夫。
【プロフィール】
社長の個性を収益化する達人。
大学在学中にデートスポットや就活情報など普通では手に入らない有益情報をフリーペーパーにして配布。学生起業から21年の個人事業を経て2013年、株式会社MEDIAMakerを設立。
現場で培った独自の理論を融合し、個人の幸せづくりをベースにした「その人」や「その店」にしかないオンリーワンの持ち味を引き出し、既存概念を打ち破ったアイデア販促を提案。各支援機関で販売促進指導指名ナンバーワンになる。
2011年より、マーケティングでは答えの出ない経営者様の悩みを相談されるケースが増え、TimeWaverBizという量子コンピューターシステムを導入。
現在は、「共鳴 (Resonance) 」を基軸にエネルギー的な視点から、経営とプライベートどちらも思い通りに幸せな人生となるよう、経営者を整え切るコンサルティングとセッション、それを叶えるデザインやコーディネートまでを行っている。
(株)MEDIAMaker代表取締役。2023年ヒプノティックリズム・アソシエーションスタート。2020年より商売の次元を上げるデザイン「エピファニー・デザイン」1つを整え極めるとすべて変わる「フラクタル・コンサルティング」としてスタート。著書に「成功する人の神風の吹かせ方」(大和出版)がある。2012年〜保護観察士。2023年〜こどもの生きる力塾スタート。
【history】 |
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1992年 | 現在の前身となるMEDIAMaker立ち上げ/東京 デザイン・コンサル業スタート | ||
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1995年 | 青森県に移住/青森県内で活動(小売店、飲食店、サービス業、個人、まちづくり、商店街) | ||
2011年 | 東北大震災 | ||
2013年 | (株)MEDIAMaker設立/青森県販売促進指名数ナンバーワンになる 保護観察士任命 | ||
2015年 | 全国での活動が増える/関わった業種100を超える/ アトピーと喘息発症 | ||
2016年 | 量子システムTimeWaver導入/周波数の視点でデザインや職場環境の分析スタート/ 持病改善のための自然療法を探求 | ||
2018年 | 虎鯖棒鮨、青いジャムのパッケージデザインは桁が変わるヒットに/ 第1回目無気力症候群 | ||
2019年 | スピリチュアル、バイオレゾナンス(波動医療)、統計学など自己探求に励む | ||
2020年 | 「成功している人の神風の吹かせ方」(大和出版)出版 アトピーと喘息が消える | ||
2021年 | 仕事量を抑え全国を旅する/第2回目無気力症候群 山田貢司氏と出会う/関係物理学に師事 | ||
2022年 | 山田貢司氏のClub Intelligence Terrorizmをスタート&プロデュース 自分を脱ぐ | ||
2023年 | 原点回帰 こどもの生きる力塾スタート |