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「心ある」言葉と行動がもたらす生きる力

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心がある、心がない。がもたらす意識変容

心がある、心がない。がもたらす意識変容

2023/11/28

 12月頭まで青森に居ますが、雪が吹雪いたかと思ったら今日は比較的暖かくて、よくわからない天気です。

青森にいるときは引きこもって仕事や読書をしていますが、案外友人がふと連絡をくれたりして程よく人付き合いが出来るのでちょうどよく暮らせます。

 

 数日前に「心がある、心がない」という、

これを強烈に感じる経験をしてからそれを体が覚え、肌感覚というのか暗黙知のようなもので何かがわかるようになりました。

そして意識変容が起こり始めました。とても居心地の悪い変容ですが、

 

 面白いことに、それはこれまでには無い、最低限の恒常性を残して体が機能停止してしまうという泥酔をして一緒に飲んでいた相手に介抱してもらった時にその「心がある」衝撃を受けたのでした。泥酔しているのに一体何がわかるのか?

泥酔していたから、苦しすぎて体が機能を放棄したからこそ、感じたのだと思います。

思考も機能停止していました。だから、無意識の本能だけが自分を司っていました。

 

 何が「心ある」と感じたのか?

 

 それは、別に背中をさすってくれたりとか、後始末をしてくれたとかいうことではなく、

何とも言えない「温もり」を感じたからでした。通じ合った感覚です。

 よく、臨死体験者や、菩薩を見た、などと言う体験者が何とも言えない心地よさ包まれる気持ちよさを感じたと話されますが、多分「愛」で包まれるとこうした心地よさを感じるのでは無いかと思います。

 これは私にとっては衝撃的な体験で、新たな感覚を得た体験でした。

 

 そしてその数日後となる先週末、10年前に未成年として保護観察士してから10年の付き合いのある男の子がうちに来てくれて、近況や心境を話してくれました。この子は定期的に遊びに来てくれて、私からも声をかけています。

 

 この子からも「心ある」とはこういうことなんだな、という「温もり」を感じました。

 一般的な見方をすれば彼は犯罪を犯し、体にはタトゥーを入れ、ラップを聴き「社会から道を外した」カテゴリーに入るのかもしれません。

 

 ですが、私は普通の子供達よりも、いや、立派と称される立場の大人たちよりも余程、よっぽど桁違いに、自分の「心」をしっかりと持って、いまこの瞬間の目の前の相手を大切に「愛」を分かっていると感じます。目の前の相手と通じ合おうとする「心」で目の前の相手に接しています。

 

 何が違う?

 刷り込まれた社会的評価基準や、前頭葉を使った観念が土台の思考では、感じられないと思います。

ソツなく目の前の相手を怒らせず好印象でいようと思えば、都合の良い体の良い言葉を使い、自分を隠すために満面の笑顔で隙を作りません。

 過去、私もそうでした。体裁の良い言葉と思考で体良く生きていた頃には、それが自分の精一杯でしたから別に卑下も後悔もしていませんが、この「心がある、ない」の違いが何かは分かりませんでした。

 ただ、いつも感じていたことは、相手が踏み込んでこない、来れないと言う感覚でした。

 そこに対して相手の懐に入り付き合える知人がいますが、その方は「心ある」とはまたちょっと違うのです。これもまた世渡りなのです。

 

 何度か会うと発する言葉でも「心がある」ことは分かります。

これはある程度の信頼を持って聞くと感じ取ることができます。

 

・内容で分かる価値観や考え方、

・使う言葉の中にある思いやり優しさ

・声、トーン

・頭から発せられているか?心から発せられているか?の温もり感

・上っ面の表面的な言葉か、立体的か?

・浅はかではなく、考えられた言葉かどうか?

 

色々な指標があります。

しかしそれよりも、大きいのは全身で発しているものです。

 

NiziUのプロデューサーJYパーク氏がメンバー選考の時に、あるダンス歴の長い女の子にこんなことをコメントしました。

「あなたのダンスは、ダンサーみたいだった」

言われた子は喜んで

「はい、8年間本気でダンスをやってきました」

すると、JYパーク氏は言いました。

「僕の言葉は褒め言葉じゃないよ」

「.......。」

「歌手は、ダンサーのように見えてはいけない」

「歌手は歌手として見えなければいけない」

「ダンサーと歌手は違う職業です」

 

「今、あなたが踊っていた時、僕と心を通い合わせようとしない」

 見る人を説得する努力も見えなかった、

 自分がうまく踊ることだけを考えている、

 繋がっているこの絆を離さないまま踊るべきなのに、

 私は踊っているから、見る見ないはどうぞご自由に

 と言う印象を受けました。

 あなたは自分のためにだけ踊っている。」

 

同じパフォーマンスをしていても、どんなに上手でも、

単なる自己満足であれば心は通じ合わず、作業と自己満足だけで終わってしまう。

 

 けれど、そこに愛が備わっていて本気で相手を想う心があると、別にその行為や言葉が特別でなくても

相手は癒されたり勇気づけられたりする。通じ合う、これは共鳴の最大値が開通すること。

 

 こうした「心ある」言葉と行動=生き様です。

 

「心ある」人が自分の周りにいることが、自分を豊かにしてくれるのだなと感じます。

それは通じ合えるから。

 

どんなにすごい人と知り合っても、有名人と一緒に飲める機会があっても、

その相手と通じ合えなければ、石ころと飲んでいても同じです。

自慢のネタや何かの印籠に使えば、いやいや使ったら嫌われるだけです。

通じ合える人が自分の周りにいることは、お金や名声や、何者にも変え難い心の豊かさとなります。

生きる力です。

 

まずは、自分から。

意識してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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